伝説の記者 コマサンの「今日も野球日和」

プロ野球記者歴50年。伝説の記者・コマさんのコラム

プロフィル こまざわ・さとる
1942年、広島県生まれ。報知新聞入社後、半世紀にわたり野球記者一筋。主な著書に「昼も夜もカープ」(ベースボールマガジン社)、「赤ヘル軍団」「古葉竹識我慢の野球」(ともに講談社)、監修本に「耐えて勝つ」(古葉竹識)、「広島カープ 苦難を乗り越えた男たちの軌跡」「大野豊の全力投球(ともに宝島社)がある。現在、関西記者クラブ会員、プロ野球殿堂入り投票者、スポーツライター。

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カープ支える若手投手クインテット(2017.8.24)

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2015年

2016年

2017年

■ 2017年10月19日号

現役続行を視野、カープ退団

梵 英心

 かつて新人王に輝いた梵英心選手(37歳)が11年間在籍したカープを退団した。地元の三次市ならず、広島ファンには寂しい限りだ。

 梵は三次高、駒大、日産自動車を経て2006年(平成18)入団した。性格的にはおとなしく、物静かな人柄だった。実家がお寺さんで、どことなく風貌もお坊さんに似ていた。失礼な言い方だが入団時、「この選手のどこにプロとしての力が備わっているのだろうか」と少々疑っていた。

 ところが、春の日南キャンプで、その懸念は払拭(ふっしょく)された。身長170cmそこそこの小柄な体でショートを守り、鋭い身のこなしで二遊間、三遊間の打球を処理する姿が、当時のブラウン監督の目にとまった。もともと大学生・社会人ドラフトで指名したプレーヤー。いざフタを開けてみて、球際に強いその卓越した技術に屈服させられた。

 1年目、123試合に出場して打率2割8分9厘。見事、新人王のタイトルを獲得した。チャンスメーカーであり勝負強さも備えていた。シーズン中、当時楽天の監督だった野村克也氏をベンチに訪ねたことがある。「お前(カープ担当記者として)のところのショートの子、ウチもリストアップしとったんや。スカウトは何を考えとったんやろ。いい選手やないか」と梵は玄人好みのする選手だと褒めていた。その後の梵の活躍は順風満帆だった。10年は自身の生涯最高の144試合、14本塁打、打率3割6厘をマーク。13年は117試合に出場し、打率3割4厘をマークした。ところが、15年になると故障が原因で、成績はガタ落ち。この年96試合、打率2割3分7厘と低迷した守備力もリストの効いた打撃も劣っていた。下半身(両足)のけがに泣かされ、古傷との戦いだった。それ以後、1軍ベンチから梵の姿は消えた。16、17年の2年間は名プレーヤー◇垂フ背番号「6番」にふさわしくない、2軍、3軍の場所で見掛けられた。

 先般、梵は球団に退団を申し入れて受理された。球団ではチームの功労者として、何かしらのポストを考えていたようだが、梵は「他球団でもう一度最後の力を振り絞ってみたい」と現役を続ける意向を示した。問題の足、腰の痛みは消え「トレーナーからも大丈夫ですと保証をもらいました」と、いまは大野屋内練習場で再起≠ノ向かって練習している。

 すでに某球団が体調面での調査を済ませて、獲得に名乗り出るようだ。「カープには大変お世話になりました。故障との戦いが続いて優勝には貢献できなかったけど、どこかの球団で働けるチャンスがあれば恩返ししたいと思っています」。

 カープでの11年間、特に地元出身の県北三次のファンはカープ退団にショックを受けながらも、次なる活躍場所に期待を寄せていた。

 もう一人、地元福山市出身の江草仁貴投手(37歳)も、16年間のプロ生活に終止符を打った。



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