伝説の記者 コマサンの「今日も野球日和」

プロ野球記者歴50年。伝説の記者・コマさんのコラム

プロフィル こまざわ・さとる
1942年、広島県生まれ。報知新聞入社後、半世紀にわたり野球記者一筋。主な著書に「昼も夜もカープ」(ベースボールマガジン社)、「赤ヘル軍団」「古葉竹識我慢の野球」(ともに講談社)、監修本に「耐えて勝つ」(古葉竹識)、「広島カープ 苦難を乗り越えた男たちの軌跡」「大野豊の全力投球(ともに宝島社)がある。現在、関西記者クラブ会員、プロ野球殿堂入り投票者、スポーツライター。

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■ 2017年12月14日号

パームボールでプロ生き抜く 

川端 順

 津田恒美、小早川毅彦に続いて球団史上3人目の新人王を獲得したのが川端順投手だった。法大から社会人野球の強豪東芝を経て1984(昭和59)年、広島のドラフト1位で入団。期待された1年目は登板数も少なくパッとしなかった。だが2年目になると先発、中継ぎ、抑えと何でもこなした。勝ち星もセーブも面白いように数字を重ねた。結果は11勝7敗、7セーブ、防御率2・72。資格を残していた新人王のタイトルに輝いた。

 川端の投手生命を支えたのは覚えたての新球「パームボール」だった。春のキャンプで「何気なしに試みたボールがパーム。回転数が少なく内外角に変化しながら落ちていく。紅白戦で2、3球面白半分に投げてみたらバットの芯を外してボテボテのゴロになった。バッターにとってはタイミングが合わせづらかったようだ」というのが、当時の談話。

 プロ野球の世界では、「1球の新球」がその人生 を変えるとも立ち直させるともいわれてきた。代表的なのはフォークボールを引っ提げてメジャーリーグで大活躍した野茂(ドジャース)や佐々木(マリナーズ)らがいる。

 川端にとっては、「ここぞいう時のパームボール」が生命線になった。マスターするのも難しいが、サインを出す捕手にも勇気のボールだ。かつて広島では小林誠二がパームボールで成功。胴上げ投手にもなった。

 2年目ですっかり自信をつけた川端。しかしパームボールの多投は肘に極度の負担をかけるため、翌年の開幕は肘を痛めて出遅れた。首脳陣はローテーションの一角と考えていただけに川端の故障は誤算だった。この頃の投手陣は川口、白武、紀藤ら同世代のピッチャーが競争意欲を持っ てしのぎを削っていた。タフネスを誇る川端が戦列に復帰すると「僕の働き場所は中継ぎ。それに徹底するしかない」と決めていた。それからの川端は、来る日も来る日も「バタ(川端)、バタ…」と指名されてはブルペンからマウンドに走った。87年にはチーム最多の57試合に登板した。リリーフ専門で挙げた勝ち星が10勝。シーズン終盤まで最優秀防御率を争ったが、巨人の桑田真澄に敗れた。

 一方、グラウンドを離れれば三羽ガラス≠ニいわれ仲の良かった白武、川口と一緒に、好きな酒を酌み交わしていた酒豪でもあった。3人ともカラオケがうまく、チームの納会では必ずマイクを握ってステージに立っていた。「あの頃が懐かしいね」と振り返る。その後、 白武はロッテへ、川口はFAで巨人へ。川端は91年の日本シリーズ第6戦の先発(3回1失点)が最後のマウンドとなり、スカウトから投手コーチにと仲良し三人がそれぞれの道を歩んでいった。プロ生活9年間の通算成績は310試合に登板、46勝26敗19セーブ。防御率は3・00。この11月末に球団の編成部長を退職した。


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