伝説の記者 コマサンの「今日も野球日和」

プロ野球記者歴50年。伝説の記者・コマさんのコラム

プロフィル こまざわ・さとる
1942年、広島県生まれ。報知新聞入社後、半世紀にわたり野球記者一筋。主な著書に「昼も夜もカープ」(ベースボールマガジン社)、「赤ヘル軍団」「古葉竹識我慢の野球」(ともに講談社)、監修本に「耐えて勝つ」(古葉竹識)、「広島カープ 苦難を乗り越えた男たちの軌跡」「大野豊の全力投球(ともに宝島社)がある。現在、報知新聞社ボーイズリーグ担当、スポーツライター。

過去の記事を読む

慶彦との1、2番コンビで活躍(2017.9.7)

「巨人キラー」で名をはせる 大羽 進(2017.8.31)

カープ支える若手投手クインテット(2017.8.24)

三振奪取王に3度輝く 川口 和久(2017.8.10)

名将・上田利治さんを悼む(2017.8.3)

酒豪で知られた「カープを優勝させる会」発起人(2017.7.20)

2015年

2016年

2017年

■ 2017年7月20日号

酒豪で知られた「カープを優勝させる会」発起人 佐々木久子

 1975年(昭和50年)、優勝した年の春の日南キャンプ。カスリの着物に草履履き、パタパタとグラウンドに入ってきたご夫人。慌てて駆け付けた球場整備員。「おばさん、おばさん、どこへ行くんですか。ここ は入ってはダメですよ」と静止する。その様子に古葉監督がニコニコ笑いながらやって来た。

 おば様とは、有名人?の少人数で10年前から結成していた「カープを優勝させる会」の発起人・雑誌酒の編集長佐々木久子だった。会には同じ広島出身の作家・梶山季之他、「弱者が強者をやっつけるのが好き」と自負した落語家の三遊亭夢楽、紀伊國屋書店・田辺茂一社長、作詞家の石本美由紀(大竹出身)、同じく作詞家でカープの歌を手掛けた有馬三恵子、画家の大歳克衛、漫画家の富永一朗らそうそうたるメンバーがそろっていた。

 一同は一塁側ベンチに陣取り、選手一人一人に声を掛け激励する。

 音頭を取った佐々木久子は、全国の酒蔵を取材して回り、多くの人脈を築いていた。自らも日本酒をこよなく愛する“酒豪”として有名だった。私も広島では何度か呼び出され付き合わされた。ビックリしたのは飲むほどに酔うほどに、最後は草履を脱ぎ白足袋のまま流川を歩く。体は細く眼鏡を掛けた色白のおば様だったが、カープには人一倍の愛情と情熱を持っていた。「ワタシャア、カープが優勝するまで死なんからね!」が口癖だった。

 古葉監督、阿南準郎コーチ(元監督)、山本浩二、衣笠祥雄らとは前々から親交を温めていた。

 この年、カープが初優勝へ向かって突っ走ると、「優勝させる会」のメンバーも、西へ東への応援で忙しかった。10月15日、マジック1とした巨人との一戦。後楽園球場(現東京ドーム)の三塁側スタンド。佐々木久子らは、5月に亡くなっていた梶山季之の遺影を胸に、迫りくる「夢の実現」に興奮していた。午後5時58分、悲願の初優勝の瞬間だった。佐々木はだれかれとなく抱きつき号泣した。「この時が来る日を信じて一生懸命応援してきたんじゃけ」。もちろん東京・両国の宿舎での、球団の祝勝会には佐々木を始め優勝させる会のメンバーがそろっていた。「私はもう何も言うことはない。万感の思いです」。会の誕生から十数年の苦難を、佐々 木は涙と笑いで振り返った。そして11月21日、都内のホテルで「カープを優勝させる会」主催で開かれた祝勝会を最後に、同会は解散した。広島の女学校時代からカープを愛し続けた佐々木久子は、2008年(平成20年)6月に静かにこの世を去った。くしくも、市民球場最終年に天国へと旅立った彼女。市民球場とともに歩んだ人生だったかもしれない。



pagetop