伝説の記者 コマサンの「今日も野球日和」

プロ野球記者歴50年。伝説の記者・コマさんのコラム

プロフィル こまざわ・さとる
1942年、広島県生まれ。報知新聞入社後、半世紀にわたり野球記者一筋。主な著書に「昼も夜もカープ」(ベースボールマガジン社)、「赤ヘル軍団」「古葉竹識我慢の野球」(ともに講談社)、監修本に「耐えて勝つ」(古葉竹識)、「広島カープ 苦難を乗り越えた男たちの軌跡」「大野豊の全力投球(ともに宝島社)がある。現在、関西記者クラブ会員、プロ野球殿堂入り投票者、スポーツライター。

過去の記事を読む

5年間で81勝。太く短く輝く(2017.11.9)

クライマックスシリーズ敗戦(2017.11.2)

ここ一番で勝負強さ。「ミラクル男」の異名(2017.10.26)

現役続行を視野、カープ退団(2017.10.19)

いぶし銀の活躍でファン魅了(2017.10.12)

〈シリーズ男〉の異名取った右腕(2017.10.5)

広島 圧倒的な力でセ連覇(2017.9.28)

事故乗り越え復活したサブマリン(2017.9.14)

慶彦との1、2番コンビで活躍(2017.9.7)

「巨人キラー」で名をはせる 大羽 進(2017.8.31)

カープ支える若手投手クインテット(2017.8.24)

三振奪取王に3度輝く 川口 和久(2017.8.10)

名将・上田利治さんを悼む(2017.8.3)

酒豪で知られた「カープを優勝させる会」発起人(2017.7.20)

2015年

2016年

2017年

■ 2017年8月10日号

三振奪取王に3度輝く

川口 和久

 心臓外科医の一言。「繊細な手術になるほど指先の器用な方が適している」と。全てがそうでないかもと思うが、なるほどとうなずける節も。

 川口和久投手。この人の場合は、指先は誰もまねができないほどの器用さを持っていた。川口がFA宣言(自由選択権)で迷っていたとき、取材で広島市内(高陽町)の自宅を訪ねてびっくり。器用さの証明は、天井でゆらゆらと揺れる”物体“にあった。数機のプラモデル(機種の違う飛行機)が、実に見事に飛んで?いたのだ。「買ったの?」と聞くと、何食わぬ顔で「いやオレが作ったんだ。まだ制作途中のものが何個かあるんだ」。応接間には造作中のプラモデルが無造作に並べられていた。

 指先の器用さは趣味で大いにいかされたが、対照的にマウンドでのピッチングは、器用とは無縁のスタイルだった。三振か四球か。川口は「三振への快感」に人一倍憧れていた。3球で打者を仕留めるかと思えば、ファールを含めて8球も9球も費やす。省エネ投手にほど遠く、1試合の投球数が150球を超えることもあった。細い体のどこにあのエネルギーがあるのか。球数が多いことから、バックを守る選手からは「野手泣かせ」の異名も。加えて、一塁へのけん制球も多く、捕手の達川光男は「わしゃ、川口には泣かされるよ」と本人を前に冗談ぽく話していた。ただ、本人は「四球で歩かせてもびびることはなかった。技巧に走れば、ぼくの特徴がなくなる」と自らの”哲学“を主張。球種はストレートとカーブのみ。ストレートの真骨頂は右打者への外角速球だった。荒れ球が嘘のように、切れのある球がしなやかな左腕からズバリと決まり、球審の右手がサッとあがった。左打者への大きなカーブも魅力だった。3年目には、逆に荒れ球を武器に15勝をマーク。そのうち完投が14試合。何とも不思議なピッチャーだった。

 川口は1981年(昭和56年)に社会人のデュプロからドラフト1位で入団。カープ以外で、川口を上位指名にリストアップした球団はなかったといわれた。当時の木庭教スカウト(故人)が「競合することもなく仕留めました」と得意顔で話していた表情がいまさらながら目に浮かぶ。四球王でもあったが、逆に三振奪取も持ち味で、リーグ三振奪取王にも3度輝いた。巨人、阪神の上位チームには「キラー」が付くほど強かった。カープ在籍中2度の優勝を味わっている。ただ、主力投手の一人ではあったが、当時のカープには津田、大野、江夏、北別府らそうそうたる投手がそろい、「エース」と呼ばれることはなかった。

 川口にはエピソードがもう一つ。ハンサムな容姿に加えて歌もうまかった。選手会の納会やスナックではマイクを握ると、ポップスでもフォークでもこなし、選手やお客さんを喜ばせた。同年代の川端順投手(現編成部長)、白武佳久投手(現スカウト部長)のトリオで歌うムード歌謡も受けた。

 95年、広島の選手として初めてFA制度を使い巨人に移籍。96年に初の胴上げ投手となり、98年に現役を引退。通算成績は435試合、139勝135敗。巨人の投手コーチを務めた後に解説者やタレントとして活躍中。



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