伝説の記者 コマサンの「今日も野球日和」

プロ野球記者歴50年。伝説の記者・コマさんのコラム

プロフィル こまざわ・さとる
1942年、広島県生まれ。報知新聞入社後、半世紀にわたり野球記者一筋。主な著書に「昼も夜もカープ」(ベースボールマガジン社)、「赤ヘル軍団」「古葉竹識我慢の野球」(ともに講談社)、監修本に「耐えて勝つ」(古葉竹識)、「広島カープ 苦難を乗り越えた男たちの軌跡」「大野豊の全力投球(ともに宝島社)がある。現在、関西記者クラブ会員、プロ野球殿堂入り投票者、スポーツライター。

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■ 2017年10月26日号

ここ一番で勝負強さ。「ミラクル男」の異名

長嶋 清幸

 長嶋清幸の愛称は「マメ」。身長170cm、体重80キロと小柄ながら度胸、パンチ力、勝負強さは抜群だった。その風貌が豆タンクに似ているところから、「マメ」と呼ばれるようになった。後々には「ミラクル男」の異名をとり、ここ一番で奇跡的な大仕事をやってのけた。外野手としても超人的な好守備で、スタンドを沸かせた。

 1980(昭和55)年、静岡の自動車工高(現静岡北高)からドラフト外で入団。驚かされたのは、入団発表の席上での風貌だった。現2軍コーチの永田利則(広島商高)、1軍チーフマネジャーの石井和行(久留米大)ら11人がズラリと顔をそろえた中で、頭にそり込みを入れ、眉毛も少しそり落としていたのが長嶋だった。「高校生としては相当のワルでした」と舌をペロリと出して明かした。けんかっ早くて、強さも無類。合宿所では生意気な態度をとがめられ、先輩選手から説教されることも度々あった。

 その負けん気と心臓の強さは、プロの世界ではアドバンテージになった。高卒ルーキーにして1軍の試合出場も果たした。古葉監督は「ヨシヒコ(高橋慶彦)、ヤマ(山崎隆造)、マメ(長嶋)の三羽ガラス」と名を挙げては競争意識をあおった。

 長嶋の悪ガキ&舶ェばかりを紹介したが、4年目のキャンプからこの年のキャッチフレーズ「ゼロからのスタート」に合わせて、長嶋の背番号も「0」に変更。この年、長嶋は開幕スタメンから大ブレークした。全試合(130)に出場し打率2割9分5厘、13本塁打。打撃の内容も逆転打あり、決勝打あり。勝負強さをことごとく発揮した。新聞の紙面では「ミラクル男」の活字が毎試合のように躍っていた。

 84年、長嶋のプロ入り最高のシーズンとなる。巨人戦で史上4人目となる2試合連続本塁打。「コウジさん(山本浩二)やキヌさん(衣笠祥雄)の大打者を前にして打てたのはうれしい。尊敬する偉大な2人のバッターがいたから…」と細い目を皿のようにして、長嶋はこの快挙に応えた。チームの優勝にも大いに貢献した。

 続く阪急との日本シリーズ。絶好調を維持する「マメのバット」はさらに爆発する。第1戦の逆転本塁打、第3戦の満塁弾、最終戦にもつれ込んだ第7戦では、劣勢からの同点ホームラン。全てに奇跡≠ニ劇的≠ェ付くほどの派手な活躍だった。もちろんシリーズ男(MVP)に選ばれ、多くの賞品と賞金を手にした。

 ところが、87年ごろから、長嶋のバッティングは狂い始めた。山本浩二、衣笠と主砲が相次いで現役を退いた後、長嶋はもがき苦しんでいた。そんな中、巨人の監督だった長嶋茂雄さんが評論家として日南キャンプを訪れた。少年時代から「伝説の人長嶋さんは憧れの人物だった」という長嶋は、自分から打撃フォームのアドバイスを申し込んだ。練習を見守った長嶋さんは「下半身が生かされていない」と一蹴した。その一言で目覚めた長嶋はフルスイングで飛ばした。生き返ったように打球は右翼フェンスのはるか上を越していく。しかしシーズン後も成績は上向かなかった。

 91年に中日に移籍後、ロッテ、阪神と籍を置いたが、ボロボロになった体からは、かつての軌跡は呼び戻せなかった。

 97年に現役を引退後は、ロッテの打撃コーチを経て現在は中日の打撃コーチを務める。



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