伝説の記者 コマサンの「今日も野球日和」

プロ野球記者歴50年。伝説の記者・コマさんのコラム

プロフィル こまざわ・さとる
1942年、広島県生まれ。報知新聞入社後、半世紀にわたり野球記者一筋。主な著書に「昼も夜もカープ」(ベースボールマガジン社)、「赤ヘル軍団」「古葉竹識我慢の野球」(ともに講談社)、監修本に「耐えて勝つ」(古葉竹識)、「広島カープ 苦難を乗り越えた男たちの軌跡」「大野豊の全力投球(ともに宝島社)がある。現在、関西記者クラブ会員、プロ野球殿堂入り投票者、スポーツライター。

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■ 2018年4月26日号

プロでの夢破れ、高校球児に夢託す 

山本翔

 プロ野球の選手として華々しく活躍し、ゆくゆくはメジャー挑戦へ。12球団へは、毎年、夢を抱いた多くの選手が入団してくる。しかしその裏で、夢破れて去って行く選手もごまん≠ニいる。プロ野球では、毎年、新入団選手と入れ替わりに100人前後の選手が解雇される厳しい現実が待っている。その中の一人に、真面目で練習熱心で必死に1軍への道を追ったが及ばなかった選手がいる。昨年7月、高校野球の監督に就任し、「甲子園出場」への夢を追い、球児を指導する山本翔さん(34歳)。

 広島には2001(平成13)年、ドラフト4位で入団。福岡県の進学校・東筑高から大学(同志社)進学か、プロかと迷った末に、「カープを選んだ」という経緯があった。同期入団の大竹寛(現巨人)と天谷は、いまもユニホームを着ている。山本さんは9年間の広島在籍中、1軍での試合出場は1試合もなかった。

 「プロに入って2、3年目に自分の未熟さを痛感した。そのとき、もう一度大学へ入り直すか、通信教育を受けながら野球を続けるかと悩んだが、結局9年間が過ぎ去っていた」と苦笑する。「球団からは、現役を去るに当たって、マネジャー、スコアラー、ブルペンキャッチャーなどの再雇用を約束してもらったが、球界から足を洗って民間企業で、社会人として再出発しようと決心した」。

 その後は会社員として働きながら、広島経済大学野球部の監督、硬式少年野球の監督を務める。そして昨年3月、島根県邑南町役場の採用試験を受けて合格し、一家で移住した。地域活性化のために若者を育成、指導してほしいという、町の思いがあり教育委員会生涯学習課(施設管理)に配属。同時に県立矢上高校の野球部監督にも就任した。現在の部員は47人。今春入部した1年生のうちの7人は、少年野球の監督時代に指導をした、広島県出身の生徒だ。

 山本監督は、「将来の社会人としての人間性も磨いてほしい」と野球以前の問題にも取り組む。野球部の寮には地域の農家や酪農協会から米、牛乳、飲み物、野菜などがドッサリ運ばれてくる。「周囲の地域住民の人たちから注目され、良くしてもらっている。だから選手たちには応援してくださる人たちの気持ちに応えられる選手になれ。勝ち負けにこだわらず一生懸命やろう」。山本監督は選手たちに「地域住民の星となれ!」と諭している。「野球部のレベルとしては走、攻、守の全てにおいて足りない部分が多い中で、三拍子そろったバランス型の選手を多く育成したい。技術的なことはこれからだが、中学校の硬式大会で優勝の経験がある選手もいる。強くなると思う。選手たちも競争意識が芽生えてきているから、成長が楽しみ」と山本監督。

 山本監督は第2の野球人生の出発点に立ち、「将来、子どもたちを甲子園に連れて行ってやりたいですね」と熱く語る。プロ9年間、1軍の出場が夢と終わった男がいま、その苦難の人生と経験を生かし、球児へ夢を託す。新チームは今月21日、島根県高校春季大会1回戦で東益田高と対戦した。



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