伝説の記者 コマサンの「今日も野球日和」

プロ野球記者歴50年。伝説の記者・コマさんのコラム

プロフィル こまざわ・さとる
1942年、広島県生まれ。報知新聞入社後、半世紀にわたり野球記者一筋。主な著書に「昼も夜もカープ」(ベースボールマガジン社)、「赤ヘル軍団」「古葉竹識我慢の野球」(ともに講談社)、監修本に「耐えて勝つ」(古葉竹識)、「広島カープ 苦難を乗り越えた男たちの軌跡」「大野豊の全力投球(ともに宝島社)がある。現在、関西記者クラブ会員、プロ野球殿堂入り投票者、スポーツライター。

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追悼 衣笠祥雄〈前編〉 骨折でもフルスイングの鉄人(2018.5.10)

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今季の支配下登録選手の年俸(2018.5.31)

■ 2018年5月10日号

追悼 衣笠祥雄〈前編〉 骨折でもフルスイングの鉄人

死球は歴代3位の161個

 「キヌちゃん」「コマちゃん」。いつどこで会っても、こう呼び合っていた。入団時から変わらなかったあの柔和な衣笠祥雄の笑顔が忘れられない。

 4月19日のDeNA対巨人戦、テレビ中継の解説をしていた衣笠くんの声はひどくかすれていた。3年ぐらい前だろうか、衣笠くんが病に倒れたと人づてに聞いた。私は、マイクからの声を聞き、また体調が悪くなったのではと気になっていた。彼は亡くなる直前までグラウンドにいた。「野球って楽しくて面白い。だからぼくは野球が好きなんだ」とよく満面の笑みで話してくれた。だから「キヌちゃん」らしい最期だったのかもしれない。鉄人≠ニ呼ばれた男が、あまりにも早く旅立ってしまってさみしい…。

 私はカープの番記者として、衣笠くんを入団当時から取材してきた。1965(昭和40)年、強肩強打の捕手として、京都の平安高から入団。ところが、注目を浴びた日南キャンプインして4、5日が過ぎたころだった。キャンプで痛めたのか、その前に痛めていたのか、捕手として命の肩が壊れたのだ。

 それ以来、マスクはかぶらなかった。自暴自棄になったのかもしれない。後々に「国民栄誉賞」も受賞した人格者の衣笠くんからはとても想像もできないかもしれないが、プロに入った数年間はやんちゃで相当荒れていた。あこがれていた外国車を買って乗り回し、揚げ句の果ては民家の壁に車をぶつける事故を起こした。

 当時の長谷川良平監督が、「免許証かユニホームか。どっちを球団に返すのか」と迫った。ちょうどそのころ、私は、木庭教スカウトに同行して、広島市民球場近くの三篠にあった、球団合宿所の「三省寮」に衣笠くんを訪ねたことがある。

 木庭さんは、衣笠くんを獲得したスカウトマンであり、広島の親代わりも務めていた。「野球をやめたら、何をする気だ?」。六畳一間の小さな部屋で神妙な顔をした衣笠くんに、いつもは温和な木庭さんが詰め寄った。「野球をやりたいのか、やめるのか」。木庭さんも真剣そのものだった。後々、衣笠くんは節目、節目で、この問い掛けを自分自身にしたという。

 いまでも覚えているのが、79年の岡山県営球場での出来事。そのころの衣笠くんは、打率2割をきり、極度のスランプに陥っていた。数日前から古葉監督は「野球は一人でやるんじゃない!」と衣笠くんをこっぴどく叱っていた。その衣笠くんを古葉監督が監督室に呼んだ。「サチ、今日はもう休もうか」。古葉監督は切り出した。衣笠くんは「分かりました」とうなずくだけだった。

 残り22試合で阪神の三宅秀史氏の持つ連続イニング出場記録「700」試合の日本記録に手が届くところだった。監督室の前で私は待っていたが、真っ赤な目をした衣笠くんに声を掛けることもできなかった。後から聞けば、思い悩み、数日前から眠れない日が続いていたという。

 悪いことは重なるのだろうか、8月の巨人戦。西本聖投手の投球を左肩に受け、肩甲骨にヒビが入り全治2週間のけがを負う。「ぼくは病院が大嫌いなんだ」と常々私に漏らしていた衣笠くんは、その日も入院を拒否して自宅へ帰った。翌日、古葉監督に出場を直訴し、7回に代打で登場したが、ベンチもファンも彼が打てないことは分かっていた。巨人江川卓投手を前に三球三振で終わった。衣笠くんは後に、「記録のためではない。チームのため、支えてくれている人のため、西本のために試合に出たかった」と語っている。

 現役時代に受けた死球数は歴代3位の161個。そして骨折して打席に立った空振り三振も、最後までフルスイングだった。

【次号後編に続く】



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