伝説の記者 コマサンの「今日も野球日和」

プロ野球記者歴50年。伝説の記者・コマさんのコラム

プロフィル こまざわ・さとる
1942年、広島県生まれ。報知新聞入社後、半世紀にわたり野球記者一筋。主な著書に「昼も夜もカープ」(ベースボールマガジン社)、「赤ヘル軍団」「古葉竹識我慢の野球」(ともに講談社)、監修本に「耐えて勝つ」(古葉竹識)、「広島カープ 苦難を乗り越えた男たちの軌跡」「大野豊の全力投球(ともに宝島社)がある。現在、関西記者クラブ会員、プロ野球殿堂入り投票者、スポーツライター。

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現役に固執。米独立リーグから連絡待ち 梵英心の近況(2018.5.24)

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■ 2018年5月24日号

現役に固執。米独立リーグから連絡待ち 

梵英心の近況

 最近、カープファンから質問されることが2件あった。一つは、先日惜しまれながらこの世を去った衣笠さんの、「衣笠さんはなぜ現役引退後、ユニホームを着なかったのか?」ということ。そしてもう一つは、「梵選手はいまどこで何をしているのか?」。2006(平成18)年、ドラフト1位でカープに入団し、新人王にも輝いた梵選手はいずこに。

 衣笠さんについては前号で紹介したが、梵選手は最近になって様子を知ることができた。地元の三次高から駒大を経て社会人野球の日産自動車で実績を積みカープへ。ドラフトでは、当時、楽天のスカウト陣がひそかに梵指名を狙っていたが紛糾、その間に広島が単独指名をしたという裏話がある。梵は「地元に帰れてよかった」と安堵し、実家の家族は大喜び。

 1年目のシーズンからショートのレギュラーポジションを獲得。いきなり123試合に出場して450打数、130安打、8本塁打、打率2割8分9厘の立派な成績を上げ、新人王に輝いた。2年目は小兵ながら18本塁打を放ち、20盗塁も光った。打率は2割6分0厘と及ばなかったが、チームには大いに貢献した。そして5年目の10年は144試合、172安打、13本塁打、43盗塁、打率3割0分6厘の自己最高をマーク。この年の打撃ベストテンの10位に食い込んだ。13年も、試合数は117試合に減ったが、3割0分4厘を残している。

 しかし、その後は、けがとの戦いとなった。1軍出場が最後のシーズンとなった16年は、わずか7試合の出場にとどまり、9打数0安打。晩年の2年間はほとんどファーム暮らしだった。職人気質の性格のため、練習中のベンチにいても、一人ぽつんと座って用具の手入れなどをしていた。キャンプでの練習終了後も、他の選手と会話を交わす姿をあまり見かけなかった。首脳陣へのアピールが下手で損なタイプ。ただ、私に対しては、私のいとこが梵の中学時代の恩師だったので、時折、ボソボソと声を掛けてきてくれた。

 カープでの12年間の成績は、1096試合に出場し990安打、74本塁打、357打点、135盗塁。通算打率は2割6分4厘だった。昨年10月、ファームでの公式戦が終了すると同時に球団に退団届を提出し、カープのユニホームを脱いだ。

 さて、肝心な梵のその後だが…。梵は退団後、自由契約選手となり、日本の球団でのプレーを希望していた。ある球団と水面下で話が進んでいたが、断念せざるを得ない状況に陥る。そこでアメリカに渡り、下部組織の独立リーグのトライアウトに挑戦した。最終選考まで残り、広島に戻って連絡待ちの状態というのが現状だ。

 先日、梵と久しぶりに話をする機会があった。「けがの状態は、ここ3、4年、どうってことはなかった。だからいま体調は万全です。いずれにせよ、どんな形でも野球は続けたいし挑戦します」と、並々ならぬ決意を生き生きとした表情で語ってくれた。

 アメリカの独立リーグか、もう一度日本でプロを目指すのか。梵はいま、広島市内の練習場を借りて再チャレンジしようとしていた。



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