伝説の記者 コマサンの「今日も野球日和」

プロ野球記者歴50年。伝説の記者・コマさんのコラム

プロフィル こまざわ・さとる
1942年、広島県生まれ。報知新聞入社後、半世紀にわたり野球記者一筋。主な著書に「昼も夜もカープ」(ベースボールマガジン社)、「赤ヘル軍団」「古葉竹識我慢の野球」(ともに講談社)、監修本に「耐えて勝つ」(古葉竹識)、「広島カープ 苦難を乗り越えた男たちの軌跡」「大野豊の全力投球(ともに宝島社)がある。現在、関西記者クラブ会員、プロ野球殿堂入り投票者、スポーツライター。

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■ 2017年11月23日号

抑えの先駆者として活躍

龍 憲一

 1965年前後、「8時半の男」ともてはやされたのが巨人の宮田征典と中日の坂東英二、そして広島の龍憲一だった。抑えの「三人衆」とも呼ばれゲームの終盤午後8時前後になると、この3人のピッチャーがどこかの球場で抑え≠ニして力投していた。

 「自分の仕事は、与えられたところで投げること。先発でも中継ぎでも抑えでも、どのポジションでもマウンドに立つ喜びを感じていた」と当時の龍は話していた。

 彼のプロ野球生活をひもといてみると、「苦労人」人生が、広島で花を咲かせたといっても過言ではない。龍は石炭産業が日本経済の一翼を成した時代、福岡の大濠高から九州の杵島鉱業所、日炭高松を経て、24歳で東映にスカウトされる。東映(現日本ハム)入団後の62年に広島に移籍。自由契約同然で広島に拾われ、龍の人生が一変する。九州地区担当だった久野スカウト(故人)は「リュウ(龍)の反骨精神は半端なもんじゃない。チャンスを与えれば馬車馬のように働くから、まあ見ていてくれ」。まるで掘り出し物のように、龍に熱い視線を送っていた。

 身長180cmと細身だったが、筋骨隆々でスタミナは並外れていた。私生活面では酒にめっぽう強かった。午前様になっても、ただ静かに杯を重ねていく。私も彼の晩年に何度かご一緒した。印象に残っているのはオフの家庭訪問取材で、夫人の前ではおとなしく小さくなっていたことだ。

 本題に入ると、久野スカウトが話していた、彼の圧巻ぶりが証明される。来る日も来る日も連投のマウンドだった。東の宮田、名古屋の坂東、そして西の龍。「カープ初のストッパー(クローザー)」として名火消し役をこなした。後にカープでは「炎のストッパー」津田恒美(故人)らが名役≠果たした。

 抑えの条件として一番重要なのは、短時間で肩が出来上がり、連投ができ、何よりもタフであること。龍はその条件をシーズンごとに確固たるものにしていった。62年、63年と2連続で60試合以上も登板。毎試合ベンチ入りをして、登板のない日でも、ブルペンでは常に準備を怠らなかった。

 抑えの武器となったのは外角に鋭く切れるスライダーと、打者の懐に食い込むシュート。コーナー両サイドを厳しく攻めて弱小チーム≠フ勝利に貢献した。宮田や坂東が脚光を浴びる中、龍は抑え専門ではあったが、文句一つ口に出さず中継ぎやロングリリーフまでこなした。65年には自身最多登板となる64試合、226イニングを投げた。雑草のごとく、たくましくなった右腕は「登板した以上はベストを尽くす。ぼくには休みはないと頭にしっかりたたき込んでいる」。この年の龍は18勝をマーク。うち17勝が救援勝利というのは、驚くべき数字だ。晴れ舞台のオールスター戦にも出場した。だが、67年にヒジの故障に見舞われ、その影響で70年に引退。太く短かった野球人生だった。「よくもここまでやってこられたものです」と最後は満足感に語っていたのが印象に残る。球団の史上初の抑えの「先駆者」となった龍の通算成績は426試合、60勝68敗。引退後は広島のコーチやスカウトを務めた。広島経済大野球部監督としても指導に当たった。


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