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第33回 「海外への先駆者だった広島」

 広島は1990年、当時のお金で、6億円を投じてドミニカ共和国に野球アカデミーを設立した。現在も元コーチの古沢憲二氏が、毎年4月から9月中旬まで、派遣コーチとして滞在。海外にアカデミーを持っているのは、今もって日本球界では広島が唯一だが、海外への先駆者≠ニなった事例はこれだけではない。実は広島は、球団創設の4年後の1954年に行った初の海外遠征が「文明の扉」を開けるきっかけになった。遠征先はフィリピン。監督の白石勝巳以下、エースの長谷川良平、大田垣喜夫(後に備前姓)、ホームラン王の小鶴誠ら総勢22人が派遣された。戦績は11勝1敗。ただし、相手が現地の大学生や高校選抜などのアマチュアチームだったとは知る由もなかった。

 70年には、大リーグ・アストロズ(1A、2A)の秋季キャンプと現地の教育リーグに、投手陣では大石清、白石静生、野手では山本浩二、三村敏之、衣笠祥雄らが参加した。その後もメジャーの教育リーグに選手を送り続けたのは広島が最初である。

 広島が海外に目を向けたのは、2代目オーナーの松田耕平氏の並々ならぬ意欲があったからだ。当時耕平オーナーは開発したロータリーエンジンのPRのため、米国を中心に欧米諸国へマツダ車の販路を求めて駆け巡っていた。同時に「チームを強くしたい」「選手たちにアメリカの野球を勉強させてやりたい」との思いを強くしていった。

 72年には根本監督以下36人の選手が、チームぐるみで大リーグのキャンプに参加。2月25日から2週間、アリゾナ州のトゥーソンにあるクリーブランド・インディアンスのキャンプ地で練習し、交流試合も行った。

 このキャンプでメジャーリーガーの練習の取り組み方、考え方などで、広島ナインは多くの教材≠得て、75年の初優勝の原動力となった。「口は出しても金は出さない」と言った耕平オーナーの口と心はまったく別だったのだ。

 以後、巨人や阪神などの他球団も大リーグの秋の教育リーグに選手を派遣するようになった。広島には後にメジャー経験のある、かつての名投手ウーレンス・スパーン、ブレーザー、ルーツら多くの外国人指導 者が、海をわたってやって来た。ルーツは日本球界初となるメジャー出身で日本のプロ野球の監督、広島の外国人指導者が日本球界をけん引した時代があった。ちなみにドミニカの野球アカデミー出身で、カープをへてメジャーリーガーとして活躍した選手は元ヤンキースのソリアーノ外野手や、元ドジャースのチェコ投手が有名だった。

 松田耕平オーナーの地道な努力は脈々として受け継がれ、今、7度目のリーグ優勝を迎えようとしている。

プレスネット2016年9月3日号掲載


   
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