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今日も野球日和

第38回 「野球の伝道師 山本一義さんを悼む」

 広島の主軸打者として長年活躍した山本一義さんが、9月17日に尿管がんで亡くなった。78歳だった。

 「カズさん」「一義さん」と親しまれ、尊敬された。野球選手としては珍しく実直、まじめ、誠実な人物だった。広商から法大に 進学。六大学のスタープレーヤーとして鳴らし、地元のカープに恋い焦がれて入団。1960年代から70年代にかけて「4番打者」として、長くチームを引っ張った。

 タイトルとは無縁だったが、ベストナイン2度受賞し、オールスター戦には5 度出場した。主将としても「弱小チーム」を支えた。練習熱心さと探究心は人一倍旺盛だった。記者が、度が過ぎるほどのその一端を垣間見たのは、カズさんの新婚当初、自宅を訪問したときのことだった。夕方近くになり6畳の間で、ピンポン玉の紙ボールを何十個も作り、夫人が投げるそのボール≠、カズさんは上半身裸になって一心不乱に打ち返していた。「バッティングは無限!」とグラウンドを離れても内助の功を得て技術を追求し続けた。とことん妥協を許すことはなかった。

 巨人の王(現ソフトバンク会長)、長嶋(現巨人軍名誉監督)とも仲が良かった。広島でも後楽園球場(現東京ドーム)でも、顔を合わせるたびに、短い時間ではあったが「打撃論」を交わした。特に王とはお互いが持論を展開。「またあの2人が‥」と両軍ベンチから笑いがもれるほどだった。

 現役引退後はカープで2度にわたってコーチを務め、厳格な熱血指導は有名だった。多くの選手が育っていった。高橋慶彦、金本、緒方、江藤らを一流打者に仕上げた。とくに金本 は阪神へFA移籍後も「カズさん」の元を訪ね、スランプに陥った時はアドバイスを求めた緒方(現監督)に対しては、現役コーチ時代、フォーム改造に二人三脚≠ナ取り組み、中距離打者に変身させた。

 カープを去ってからは近鉄の打撃コーチを務め、82年からは2シーズンロッテの監督として指揮を執った。その後も南海(現ソフトバンク)、広島とコーチを歴任。昨年までは評論家として、マツダスタジアムの記者席で同席することも。仕事がなくても分厚い辞書とスコアブックを 抱えて、熱心にメモを取る姿が印象的だった。「おう!コマちゃん(記者)、あんたようガンバッとるな!」。会えば、親しく声をかけてもらった。カズさんは「野球の伝道師」として、アマ球界にも情熱を注ぎ、人間的にも素晴らしく立派な人だった。

プレスネット2016年10月15日号掲載


   
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