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第43回 「カープの長谷川支えた『広島の母』」

 入団2年目の昭和26年。身長170cmにも満たない「小さな大投手」長谷川良平が、17勝をマークしたシーズンオフ。事件は勃発した。統一契約書の球団側の不備から長谷川は、ひそかに出身地「名古屋軍(現中日)」から勧誘を受けていた。

 シーズン終了後、愛知県半田市の実家に戻っていた長谷川は、3年前に父親を亡くしていた。母親は小さな商店を姉と二人で営んでいた。少ない給料から長谷川はやっと家計を助けられるようになった。

 そこへ突然湧き起ったのが名古屋軍からの誘いだった。「我がチームに来てもらったら、もっと給与を出します」。若い長谷川の気持ちは揺らいでいた。いや、もう広島には戻らない心境になりつつあった。「家族の元でプレーをしたい」と。元を正せば広島球団のミスだった。統一契約書を帰省中の長谷川にうっかり届けていなかったのだ。名古屋軍の熱心な説得が続く中、万策尽きた広島は、ある人物に「長谷川を取り戻して欲しい」と依頼した。

 その人物の名が森田よし子だった。森田さんは広島市内の歓楽街(薬研堀)で夫とともに旅館とキャバレーを経営していた。カープの熱心な後援会員でもあった。故郷に同じ年代の母親を残した純朴な青年だった長谷川は、森田さんを「広島の母」として慕い、かわいがってもらっていた。森田家にはしょっちゅう出入りしていた。石本監督、球団幹部が思いついたのが「森田さんの力を借りる以外にはない」(石本監督)。三顧の礼を尽くして森田さんに頼み込んだ。

 「長谷川なくして今のカープはない」とまで言い切っていた石本監督は、とにもかくにも森田さんに託した。

 愛知に帰省したまま連絡も取れなくなっていた。森田さんはすぐに名古屋へ向かった。長谷川は名古屋駅のプラットホームで待っていた。このころ、名古屋球団は「長谷川、名古屋へ移籍」の準備段階に入っていた。

 森田さんと会った長谷川は強く説得され「おばさんに全て任せます。名古屋(球団)と話をつけてください」と名古屋との交渉を森田さんに一任。肝っ玉母さんの森田さんは名古屋関係者と会い、一歩も引くことなく、エースの取り戻しに成功した。「森田のおばさんがいたから僕がいた」。生前、長谷川からよく聞かされた言葉だ。長谷川にとっては恩人であり、広島の母だった森田よし子さんは昭和54年に78歳で他界。広島で通算197勝をマークした「小さな大投手」は森田さんあっての記録だったと言っても過言ではない。カープの苦難の時代を乗り切り、歴史を作ったのは二人の人物≠セった。

プレスネット2016年11月26日号掲載


   
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