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今日も野球日和

第59回 「卓越した頭脳で投手陣支える」

 口八丁手八丁のタッちゃん」こと、達川光男は広島投手陣の頭脳だった。1984年(昭和59年)から90年代にかけ、大野や津田(故人)、川口(FA巨人移籍)ら多くの若いピッチャーを育て支えた。一方では独特なパフォーマンスでTVの「珍プレー好プレー」の名優ぶり≠ェ全国のプロ野球ファンを爆笑の渦に巻き込んだ。

 その一例として、ホームプレート付近に自らのコンタクトレンズを落として探すシーン。打席で当たってもいないのに「ここ、ここ」と球審にアピールするなど、ファンを笑わせた。

 なにも考えず、ピンチでマウンドに行く。炎のストッパーといわれた津田恒美に対し「ツネゴン(津田の愛称)、真っ直ぐをズドンと投げてこいや」。津田の真骨頂である強気な性格を引き出し、得意のボールを要求した。同じくストッパーと先発の両刀≠務めた大野にも「フォークを投げてこい。2-3後でも、ワシにまかしとけや」。

 得点圏に走者を背負った局面で、達川は常にピンチを切り抜けるリードを見せてきた。過去の対戦相手のデータを頭にインプットした抜群の記憶力が、ベンチの信頼を得た。

 達川とはグラウンドを離れても、いつも「タッちゃん」「コマさん」とお互いが声をかけ合って飲むこともあった。私が読売系の記者とあって、タッちゃんは「巨人には負けたくないけ」と、それとなく情報収集?していた。巨人系であっても私は広島番記者。想像予想はできてもそれ以上の情報はなかったのではないだろうか。ただしタッちゃんは後に報知の評論家として数年間人気のある批評を書いてくれた。

 先に戻る。タッちゃんは78年地元の広島商から東洋大をへてドラフト4位入団。ただ、レギュラーを獲得し、名捕手≠フ看板を掲げるまでは、約5年を要した。入団当時のキャッチャーには、初優勝時の水沼や、道原、西山らがいた。その陰に隠れていた。タッちゃん言う。「ワシはあの間、のほほんと過ごしてはいなかった。相手球団の各ピッチャーの性格や球種をしっかり頭に詰め込んでいたんよ」

 その努力が実り、チャンスは巡って来た。84年から5年間に渡って正捕手の座を譲らなかった。この間3度のリーグ優勝を果たし、日本一も経験した。金石、川口、大野、山根、川端らそうそうたる若手投手陣を引っ張ってきた。ゴールデングラブ、ベストナインを各3度受賞。名物捕手の頭脳は現役引退後も発揮される。広島の監督や阪神、中日のコーチも務め、今年からソフトバンクのヘッドコーチに就任した。「カープと日本シリーズができればいいの」。

プレスネット2017年4月1日号掲載


   
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