ジモ通トップ > 今日も野球日和 第61回 「球団初の首位打者獲得。監督は最短の1年で更迭。」

今日も野球日和

第61回 「球団初の首位打者獲得。
              監督は最短の1年で更迭。」

森永勝也

 広島球団史上初の首位打者となる。1962年(昭和37年)、森永勝也外野手は巨人の長嶋茂雄や中日の江藤慎一ら、並みいる強打者を押さえてタイトルホルダーに輝いた。しかし後に就任した「監督」としては、自ら不遇を招く事になる。

 卓越した打撃技術は巧打者≠ニしての名をほしいままにした、ヒットメーカーだった。寡黙で真面目な人柄。サラリーマン経験もあってか外見からはプロ野球選手には見えなかった。「モリさん」(愛称)は58年、専大からノンプロ(現在は社会人野球)の熊谷組を経て入団した。この年はプロ野球界の新時代≠迎えた。東京六大学のスタープレーヤーで立教の三羽ガラス≠セった長嶋(巨人)、杉浦投手(南海)、拝藤投手(広島)が、そろってプロ入り。

 「貧乏球団」「田舎球団」といわれた広島も大金をはたいて補強した。全日本世界大会の代表として4番を打った森永の他、小坂(法大)、古葉(日鉄二瀬)と期待の新人も加わって陣営を一新した。若返ったチームは一年後に専大のスラッガー・興津立雄も迎えた。

 森永にとって首位打者はプロ入り5年目の快挙だった。新米記者時代の私にもよく声を掛けてくれた。静かなバーにもたびたび誘ってもらった。ごちそうになった上であつかましく取材を試みたが、「モリさん」から打撃の極意は聞き出せないまま、66年の12月7日、宮本洋二郎投手との交換で巨人に移籍した。70年に引退後71年にコーチとして広島に復帰。72年には休養した根本監督の代理監督を務めた。

 73年11月。別当薫監督の辞任を受け、森永は監督に就任する。晩年は巨人軍の監督として9連覇の偉業を成し遂げた「名監督」川上哲治の下で帝王学≠学んだが、残念ながら生かされなかったのだ。

 森永の穏やかな人間性は、チームへの厳しさが欠落していた。選手への愛情、温情が、逆に指揮官としての求心力を失った。衣笠、三村、水谷、山本浩、水沼ら有望な若い選手を抱えていた。意識改革を目指し自主性にこだわり過ぎた。戦略も戦術もセオリー通りの采配と用兵にチームの改革はできなかった。就任会見での「機動力を生かして守りの野球を重視していく」方針とは裏腹に終わった。74年、チームは三年連続最下位。打撃の人・森永は監督としては結果を残せないまま、OBでは最短の一年で更迭された。皮肉なことに、翌年コーチからルーツに代わって途中から監督に昇格した、古葉新体制で初優勝。悲運の森永は、その後地元テレビ局の解説者になり、93年に死去した。

プレスネット2017年4月13日号掲載


   
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