ジモ通トップ > 今日も野球日和 第63回 「長く4番を務めた大型三塁手 興津立雄」

今日も野球日和

第63回 「長く4番を務めた大型三塁手」

興津立雄

 1959年、東都六大学きっての「大型内野手」として、専大から広島に入団した興津立雄は、当時野球界の大きなニュースとなった。同じ年には、関西六大学の「名捕手」として鳴らした上田利治(関大)も肩を並べて入ってきた。

 「貧乏球団」の広島が、前年の小坂佳隆(法大)、森永勝也(専大)、古葉竹識(専大中退―日鉄二瀬)らに続く大枚をはたいての興津の獲得には、各球団がびっくりした。

 興津は、静岡出身で身長180cm、色白で端正なマスク。まるで映画俳優を思わせる容姿だった。東京六大学の立大から巨人入りした長嶋と同じ三塁手だったことから「東都の長嶋」と騒がれていた。球団としては待望のスター選手の誕生に大きな期待がかかった。

 「ホームランか三振か」の豪快な打撃は、1年目は振るわなかったが、2年目には実力を発揮した。いきなり本塁打王争いに加わった。長嶋茂雄(巨人)、森徹(中日)、桑田武(大洋・現横浜)、藤本勝己(阪神)らセリーグの強打者連中に負けていなかった。結局、藤本の23本に1本及ばずタイトルを逃した。

 「ホームランか三振か」の興津は、長距離砲の能力を実証してみせた半面で、豪快なスイングからリーグ最多の「108三振」を記録。

 チームの4番を長く務めた興津は、一発の魅力もあれば、チャンスをつぶす三振に、地元ファンからはよくやじられた。

 3年目のキャンプ。突然腰痛に襲われた。興津はこの後の選手生活で病魔≠ニ闘わなければならなかった。あらゆる治療を続けながら4番の座は明け渡さなかった。本塁打数は減った。逆に負担のかからない右方向への打球が増えた。「なるべく腰に負担がかからないように工夫をしているんだ」。遠征先でも治療は欠かさなかった。

 女性ファンをとりこにした「魅惑のホームランバッター」は、晩年、捕手からコンバートされた若い衣笠祥雄に、三塁ポジションを譲った。プロ生活は13年間。私の記憶に残っているのは、あと2本で1000本安打、5打点で500打点。節目の記録達成に縁遠かった。シーズン最高成績は63年の打率3割3厘、93打点だった。オールスター選出は3度。もし興津に腰痛がなかったら…。あとはご想像にお任せする。引退後は東京・杉並で息子さんと水道工事の会社を経営する。

プレスネット2017年4月27日号掲載


   
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